優しさ、無理、偽善の関係性とは

昨日、一昨日と、「優しい人とはどんな人なのか」という記事を書きました。

結論は、優しい人は感性が豊かであるというものでしたが、もう少し考えたいな、と思ったので、続きを書いていきます。

まだ見ていない人は、先にそちらをご覧ください。

1の記事はこちら、2の記事はこちら

それでは、今回の内容に移ります。

僕の好きな漫画に、テラフォーマーズがあるのですが、印象深いシーンがあるので、まずはこれをご覧ください。

僕が今まで読んだ漫画の中で、一番好きなシーンです。

ここで僕が気になるところは、「無理をした優しさは、優しさになるのか」です。

考察していきます。

そもそも、無理をした優しさとは何なのか。

僕はこんな状況を思い浮かべました。

飢えた2人の少年、A君とB君がいます。A君は道で一欠片のパンを拾いましたが、B君が自分より飢えているのではないかと感じ、そのパンを手渡しました。結果、次の日にA君は飢え死にし、B君だけが生き残りました。

さて、このA君の行動は、優しいと言えるのでしょうか。

これが恐らく、優しさではなく無理だと言われる行動なのでしょう。

ただ、これはB君からすれば、優しい行動だと捉えられると思います。無理だとしても、優しい行動には変わりないのです。

しかし、第三者から見た場合、ほとんどの人が、この行動を偽善だと言うと思います。(多分)

そもそも、その行動に対価を発生させた時点で、優しさにはならない、というのが僕の結論です。

他人に自慢したり、言いふらし、評価を受けようとしている場合、行動に対価を発生させています。

その行動には、優しさが含まれつつも、他人にその行動を知ってもらい、自分の株を上げるための道具に変わってしまうのです。

それを僕は、偽善と呼んでいます。

逆に言えば、対価の発生しない行動は、たとえ無理な優しさでも、優しい行動であるとも考えています。

自分はこんなに優しい行動をしているのに、誰も分かってくれない…のようなTweetをたまに見かけますが、それを見ていると、

ああ、この人は自分を見てもらうために、他人を利用しているんだな、と感じてしまいます。

いつから僕は、こんな荒んだ心を持ってしまったのでしょうか。笑

まとめ

いかがでしたでしょうか。

対価を発生させた時点で、その行動に優しさは含まれず、偽善になってしまう。
対価の発生していない行動ならば、例え無理をしていても、優しい行動である。

というのが僕の結論です。

何だか、炎上しそうな内容になってしまった気がする。

これはあくまで僕の理想論です。僕の中ではこれが優しさの形であり、それを目指したいと思って考えてみました。

みなさんは、どんな行動に優しさを感じるのでしょうか。考えてみると、自分の行動を振り返ることが出来るので、オススメです。