日本語の「優しい」を、分解して考えてみる

少し前に、優しい人とはどんな人か、という記事を書きました。

その時は、相手のことを考えている行動は、優しい行動である、というのが結論でした。

そこからもう少し自分で考えたのですが、追加で書きたいことが出来たので、今回はそれについて。

早速ですが、次のような状況を考えてみてください。

あなたは、仲良しの友達Aさんから、愚痴を聞きました。内容は、Bさんが自分勝手で、遊ぶ約束をしていたのにドタキャンされた、というものです。更には、謝罪の言葉も無いのだとか。Aさんが可哀想だ!と考えたあなたは、その一件から、Bさんを少し避けるようになりました。

こんな話は、よくあることだと思います。

あなたはどうでしょう。別に普通のことじゃん、と思いましたか?

僕はこう思います。

「AさんのBさんに対する愚痴は、本当のことを言っているのか分からない」と。

確かにAさんは、ドタキャンをされたのかもしれません。

しかし、その理由が、Aさんの遅刻で、それに対して謝罪が無かったから、怒って帰った。というのが真実だった場合、どうでしょうか。

Aさんは、間違ったことは言っていません。ですが、自分の都合の良いように状況を解釈し、伝えているのです。

確かにあなたは、Aさんの相談に乗りました。その点では、Aさんのことを思いやった行動なので、優しいでしょう。

しかし、Bさん目線では、ただの不可解な行動です。

とても、優しい行動をされているとは思えません。

僕はそのような、情報が不足している状況で判断している時の行動を、弱い優しさ、と呼んでいます。

そして全ての情報から判断している行動は、強い優しさ、です。

この話の場合だと、Aさんだけでなく、Bさんからも話を聞いて、行動した場合に適用されます。

弱い優しさなら、ほとんどの人が持っていると思います。

ですが、強い優しさを持っている人は、ほとんどいないでしょう。

日本語の「優しい」には、どちらも含まれてしまうので、優しい行動を取るのはとても簡単です。目の前の人が欲しいアクションをすればいいだけですから。

そもそも、強い優しさを必要としている人はそう多くいません。

誰だって、自分は正しいと認められたい、と考えているものです。他の情報から、自分が悪いと判断されては、たまったもんじゃありません。

これが「馴れ合い」という文化の成れの果てだと、僕は感じています。

そして弱い優しさしか持っていない人ほど、正義感から人を傷つけることが多いように思えます。

何か悪だと感じたものを見つけたら、それを容赦無く潰しにかかる。一方向からしか情報を見ることが出来ない人ほど、やりがちです。

最近では、コロナの自粛警察などが当てはまるでしょう。

注意して外出するのは良いことなのに、その人たちのことを考えられず、外出=悪と捉えて攻撃する様は、弱い優しさそのものです。

本人たちは、自分は日本の人々を思いやって行動している、と考えているから、余計にタチが悪い。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回のポイントは、

弱い優しさ…情報が不足している状態で起こす行動
強い優しさ…全ての情報を取り入れて起こす行動

です。

皆さんはどうでしょうか。どちらに当てはまる行動を多く取っていると思いますか?

何事においても、様々な角度から情報を得ることは大切です。クリティカルシンキング、というやつですね。

この記事が、皆さんの心に響いていると、幸いです。